Blog / 木村智明のブログ
2017年10月18日

生まれ故郷と育ち故郷

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ブダペスト

109日、1日目

ブラームス作曲/ヨアヒム編曲のハンガリー舞曲を演奏する機会が増えた最近、「地元の踊りを絶対に体験したい」と一人で盛り上がりを見せ、夏にあった同級生にもどうしてもまた会いたくなってしまっていたし、入院なさっているお父様のお見舞いも行きたいと思い、4日間だけブダペストを訪れることにした。

ロンドンから午後の飛行機で2時間後到着し、空港でバスに乗り換え街中に向かう。

いつも言葉がうまく通じない場所に行くときは多少緊張するから、早速パスポートコントロールの人もバスの運転手さんも暖かく「ようこそ」と言ってくれてそれだけで良い旅が始まった気分になる。

中高時代の同級生Bは、その夜作曲コンクールのファイナルを聴きに行っているということで8時半にコンサートホールで待ち合わせをする。飛行機着いたら適当にメッセンジャーするねと伝えておいた。

8時頃、バスから降りてホールに歩いて向かう途中、ダンス教室らしいものを早速発見して一気に血が騒ぐ。ガラス張りで外から見える教室を何度も何度も通り過ぎるふりをしながら鑑賞し、民族衣装的なものを適当にまとった彼らの踊りは、ユーチューブなどでみていたものと似たようで全く別物に感じる。

輪になりながら常にパートナーが入れ替わりながら踊るかれらは、一人一人が真剣で、自分の内面の何かに真正面から立ち向かっている様にも見え、同時に世の中の現実から必死に逃れようとしている様にも見える。甘さが微塵もなくどこか自分の心の中で描いていたカントリーダンスのイメージが一気に崩れた。この光景を5分くらい道端で経験できただけでも今回の旅は大きな収穫だ。

あまり行ったり来たりするのでさすがに中で踊っている真剣な人々もチラチラと僕の方をみ初め気まずくなってしまい、すぐそこに見えている川らしいところに向かう。

夜の真っ黒な大きなドナウ川。ライトアップされた緑色の橋を発見し7年前に愛犬シュークと渡った事を思い出す。絶対忘れたくないのに忘れかけてしまっているシュークの毛並みや首元のチョコレートの様な匂いを久しぶりに嗅いだ気分になる。

猛烈に、ものすごく会いたい。

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10月10日、2日目

ここ1ヶ月ほど入院中のBのお父様をお見舞いへ。今年82歳になった彼は足を骨折してしまい手術を受けリハビリをうけているが、お会いしてすぐにニコニコしてくださる。

お父さんに頼まれて買って行ったテレビ番組雑誌にラジオの欄がないと文句を言われて気分を害している。僕の方を見ながら呆れた顔をするB"お父さんの言うことを黙って聞いた方がいいよ"という気持ちを込めてじっと見つめる。もっと気分を害した様で大げさに肩をすくめている。お父さんに僕には分からないハンガリー語であーだこーだと小うるさく言っているけれど愛情に溢れているのが伝わってくる。よし、残り3日間Bに対して誠実にまっすぐにたくさん友情・愛情表現をしようと心に誓う。きっと彼はお父さんが歳をとっていく姿を見るのが悲しくて何かに反発しているのだろう。

夜は作曲コンクールのオーケストラ本選へ。4人のファイナリストの曲を聴く。20分ずつの曲のテーマはコダーイ。民謡的なメロディを使っていて一人だけコンピューターも使っていた。今の時代「ラップトップ」は楽器に一つとみなされる。Bはものすごくそれに反発していたけれど僕はいいなと思った。自分では想像もしたことのない音楽。今年東京で聴けたすばらしいイギリスのミュージシャンの音楽を彷彿させ、面白いと思うと同時に脳が受け入れようとする範囲を少々超えているので微妙にその場を逃げ出したくなるほどかなり刺激的だ。

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10月11日、3日目

「ねー、自分のこと何人だと思っている?」という僕の問いに、少々考えてBは「インド人」と答える。

Bは完全に血はハンガリー/ヨーロッパ系だがご両親の仕事の関係で、1歳から6歳までインドに住んだ。そして一旦ブダペストに戻ったものの再び9歳から15歳近くまでニューデリーに住み完全にインドの教育も受けている。

「それで14歳の時にトモアキと一緒の年にパーセルスクールに入学したわけ。デリーからロンドンに移って自分は見かけはヨーロッパ人でしょ。でも僕の英語にはインド訛りがあったりして。あの頃は僕は自分のこと何人て行ってた?」

「多分インド人っていたと思うよ。」

「あぁ、そう。僕ね、そのあとしばらくしてから、自分はすごいハンガリー人だ!って目覚めた時期があったの。それで今はまたインド人だと思うようになった。」

「そっかぁ。自分のこと良くわかっているんだか、全然見失っちゃっているのかよくわかんないね。」

「トモアキは?」

「僕はJapanese British。ニホンで生まれて育って、14で自分のチョイスでイギリスに行って、その後に自分の意思で帰化したジャパニーズブリティッシュ。」

「そうだよね、トモアキはいつでも自分の選択だったんだもんね。」

なんだか子供の頃から自分の選択でなくカルチャーの違うところを行ったり来たりしてしまったBの事が今更ながらかわいそうになってしまう。

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10月12日、最終日。

1956年革命の傷跡が今も多くの建物に深く残るブダペスト8区。ヨーゼフ通りに面したBのうちの大きな窓からは朝日が燦燦と入る。

「なんだかもうイギリスに帰っちゃったみたいな顔してる。」と言われる。

「ちがうよ。ぼっとしてるだけ。」と答えるけれど当たっているのかもしれない。「僕たちさ、こういうの昔から慣れてるのに苦手だよね。学期末とか、"じゃ、また来学期!"とか言いながらみんな別れるのが嫌で泣いちゃったりしてたでしょ。」

「そうだよね。休み中家族に会えるから嬉しいはずなのに、友達といれなくなるのも寂しいし。寮生活の学校なんかに行っちゃうとひねくれた大人になっちゃうのかな。」

「僕たちは70年代に生まれたってだけで多分クレイジーなんだと思うよ。」

「キミのご両親て、自由派だったの?」

「完璧なヒッピー。二人とも。その上インドに住んでたんだから。」

そんな会話をしながら、Bは今日こそはトモアキと植物を鉢植え変えをしたいと朝から言い張っている。暖かい日に照らされそれぞれ色々あった人生の事を振り返る。

「それにしても今日のコーヒー不味くない?」

毎朝美味しいコーヒーを入れてくれたBは最後の朝のコーヒーの味(たしかにその日は少々失敗)を気にしている。少し元気もない。

「早くお父さんのお見舞いに行こうよ。それでキミが一番好きなコーヒー屋さんに連れてって。僕がおごってあげる。」と提案する。

数日前は座ったり立ったりするのが難しげだったお父様は、今日は結構さっさと歩いていて「速く歩き過ぎだ」と看護の方にも注意されている。頼もしい。これは全然大丈夫そうだ。

外を見ると一昨日は3分の1くらいしか色が変わっていなかった木が、半分も赤くなっている。珍しく暖かい毎日が続くけれど、秋がどんどん深くなっていく。

ブダペストとで一番美味しいというコーヒーを帰り道飲んだあと、午後には家で植物の植え替えをした。コンタクトレンズを入れないとほとんど何も見えないbは手探りで適当にやっている。作業を終えてから僕の帰りの時間が近くなった頃やっとレンズを入れる。

「わお。この部屋はどうしちゃったんだ。散らかってるし、それにトモアキはこの3日間ヒゲを剃らなかったのも見えてなかった。それにこの植物たち。。。なんていい加減な僕たちなんだ。」

帰りのバス停まで送ってくれ、4日間近く喋りどおしだったのは嘘のように口数も少ない。気持ちをストレートに表現する僕は、 "I love you. You know that." というと、bはムッとして「そんなの言葉で言うのは簡単だよ。だったら行動に移してまたすぐ遊びに来て。今度は子供たちがいる時に来て一緒にどこか行こうよ。」

「是非大きくなった3人にも今度はあいたい。前回はアンブルッシュはまだ赤ちゃんだったものね。」

バス停で僕がわざと大袈裟に泣くふりをして見せると、面倒臭そうに手をヒラヒラしながらバイバイとbは去って行った。でも目を赤くさせているbをみてブダペストがもうちょっとだけ近ければと思う。

本当に来てよかった。

今度は退院した元気なお父様にも会いに来よう。

スケートが好きだという6歳になったアンブルッシュと一緒にスケートに行こう。

真冬のブダペストもさぞかしステキなことだろう。

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